雑然の美学「月鳥は月だけを想う」




「月鳥は月だけを想う」の店内

仁寺洞(インサドン)と調和のとれた伝統茶の店

リフォームのプランやデザインなどを仕事で考えていたせいか、旅行などで行く食堂や喫茶店でもそこの内装や作りなどを仕事の目で見てしまうことがよくあります。
しかし多くの仕事をこなしたにもかかわらず、どうしても自分の頭にある定義に当てはまらない状況を見てしまうこともあるのです。

目に入る物が疲れた体を癒してくれる


それを目にしたのがこの前行ったソウルのインサドンという町で入ったお茶屋さんでした。
もともとインサドンというところは昔ながらの韓屋が残り、骨董などの店も多い風情のある観光地で、日本なら城下町といったとこでしょうか。

ソウルに行けば必ず行く好きな場所で、次に行く時にはぜひ行って見たいと思っていたのがこのお茶屋さんでした。
なぜ気になっていたかはその店名にあります。
달새는 달만 생각한다」と韓国語で書いても店名にしては少し長いのですが、日本語に訳すと「月鳥は月だけを想う」という名の伝統茶のお店で、何か昔の歌人が唄った詩の一説のようでもあります。

店に入ると人もすれ違えない程の狭さに驚かされますが、その原因となっているのが至る所に置いてある、あらゆる物、物、物で骨董品から瓶類、写真、食器など地震でも起きれば逃げ場もないほど積み上げてあるといった印象です。
しかも狭いだけではなくて少し薄暗いのです。

しかし、いったん席に着けば妙に落ち着き、その雑然としか表現できない空間に溶け込んでいくのです。
冷たい五味子茶やナツメ茶などを注文し、一呼吸置けばなぜかそこが素朴で懐かしくもあり心が温かくなるような感覚に陥るのです。

私たちがリフォームのプランやデザインを考える時、片付け易さや明るさ、掃除の容易さや、広く見せるとか動き易さなどをとことん追求し、考慮するのが特に近年当然のようになっています。
お客様の好みも特に若い方ほど明るくて広く、白を基調としたデザインを好まれる方が多いのも事実です。



ところがこの店のデザインや動線、色や照明に至るまで全てが正反対なのにもかかわらず、この包まれるような安らぎは何なのだろうかと考えざるを得ないのです。
これは私が前々から行って見たいと考えていたから、その期待感により作り出された幻想なのだろうかと思えてしまうほどです。

心が落ち着く部屋とは、明るくないことや濃い色に囲まれていること、広すぎない事や物が目に入る事などは昔の定義で、今のリフォーム業界には忘れ去られた考え方なのだろうかと思えてならないのです。

私みたいな昔人間の考えることだと言われてしまいそうですが、この仁寺洞(インサドン)やその隣の益善洞(イッソンドン)という街並みを見ると、歴史に息づいた人々の協調性や生活との調和が感じられます。

今の日本の家づくりに欠けているのは、この協調性や周囲との調和なのだろうと感じてしまうのは私だけではないと思います。